今年は原爆が投下されて66年目だそうだ。
私は原子力の専門家ではないが、原子力はまず兵器として開発され、原子爆弾として実用化された。
そして、そのメカニズムである核分裂を平和の分野で利用するとして原子力発電が開発されたと理解している。
いずれも核分裂により生ずるエネルギーを武器として利用するか、それ以外の人類の発展のために利用するかということであろう。
この66年間は武器としての原爆の廃絶をうたって来たが、その平和利用については殆ど原爆の日においては議論されたとは聞いていない。
しかし、今年は福島における原発事故により、原子力発電も原子爆弾と併せて廃絶する議論が出ている。
ここでよく考えるべきは軍事であれ平和であれ、人類は核開発というパンドラの箱の蓋を開けたことに変りはない。
原子爆弾は一旦発射されれば、そのあとは統御不能であるが原子力発電所は管理可能と思われてきた。
しかし、今回の福島の事故により、そうでないことが判った。
軍事であれ平和であれ、原子力を人間は統御出来ないのである。
しかし軍事・平和のいずれの分野でも原子力は拡散の傾向にある。
人類は過去手にした利便なことをやめたためしがない。
今後世界は原子爆弾をもつ国及び原子力発電所をもつ国は増加すると思われる。
このように原子力について人類は運命共同体として責任を負うことになってしまったのである。
こう考えれば我が国は積極的に原子力の開発とその管理について力を盡くすべきと考える。
軍事においても平和においてもである。