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快適空間研究所 Institute for Amenity Space
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思うままに…
by kaitekikukannb
災害について思う事
今年は大きな災害が多い。3.11の大地震とそれに伴う津波災害、新潟とその周辺の集中豪雨。それに紀伊半島の集中豪雨、このような災害は何時何処で起こるかわからない。災害は人が住んでいるから起こるのであり、単なる自然現象にすぎない。そして、完全に予防することはできない。このような災害は日本では歴史を見ればしょっちゅう起きているので珍しいことではない。今年は大きな災害が多かったと言うだけである。ここ数年集中豪雨のたび記録的といわれるが温暖化(人為的か自然現象かについては議論のあるところであるが)に伴うといわれている。将来台風は数は減るが大型化すると言われている。そうなれば被害は甚大になろう。対策はと言われても大きな台風に備える準備をする程度で来るのを待つしかない。地震も何処で何時どの位の規模で起こるか全く分からない。人々は一般的なソフト及びハード面の備えをするしかない。火山の噴火はちょくちょくあるが歴史に残る大噴火はない。しかし歴史に残る浅間山や富士山の大噴火は甚大な被害を及ぼした。地震、津波、豪雨ばかり取り上げられているが、そのうちどこかの火山が大爆発して大被害を及ぼすことは確実である。
 さてこのような被害を及ぼした大小の災害の後を見ると、鬼の洗濯岩のような人の住めなくなるところは別として、大抵の処は被害のあった同じ場所にまた家を建ててすんでいる。これは何を意味するかといえば、ひとつはそこが生活する上で何かと便利なこと、そして経験則上同じ災害は人間の生存サイクルからみて確率的にみて極めて低いことによるものと思はれる。誰がもう一生に二度とこないと思われる災害の為に不便な場所に移転するでしょうか。東北で先人が「此処より下に家を建てるべからず」との碑があるようであるが、僅かな人はそれを守ったが大部分の人は従わなかったのである。今、東北では行政は津波対策として住居の高台移転を唱えているが、全く自然の摂理に反した政策と言わざるを得ない。行政は住民に今までの処に住めとは言えないが、復興計画ではハード面は基幹的な計画にとどめ住民の意思に任せた復興にあわせて実施すべきである。要は人々は己の意思で住居を決めればよい。大抵の人は元の処に住むのではないか。貞観地震から千数百年経って大津波に襲われたのであって、今回被害のあった人で先祖が貞観地震に逢いましたなどと言う人は一人もいないとおもわれる。人の一生と自然ではサイクルは全くあわないのである。私は今日科学が発達したため人間が傲慢になり運命というか諦めというか運が悪かったと思わなくなってしまったのである。亡くなった方は本当に気の毒であり、遺族は諦めきれないであろう。しかし運命は受け入れざるを得ないのである。あまりの被害の大きさに懲りて「羹に懲りて膾をふい」てはならないのである。被災者の応援には全力をあげなければならない。しかし、それは被災者の意思を最大限尊重しなければならない。行政の計画にはっきり言って立派なものにお目にかかったことがない。机上の空論だからである。地震、津波、豪雨そしていずれくるであろう大噴火の被災者で生き残った人への支援は自然体に任せることが必要である。不自然なことは永続きしない。人は喉元すぎれば熱さをわすれるのである。経験を生かすのが人智といわれるが、この諺は明日を生きるのに大変に役に立つのである。忘れることは美徳なのである。亡くなった人への追憶は残された人の心にのみのこるのである。その人を含めて人々は己の考えにもとずいて生きればよいのである。行政は余計な節介をせず支援すればよいと考える。そして、スピード感をもって。
by kaitekikukannb | 2011-09-12 18:34 | NO生の小考
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